螺旋の傷痕 - 数学と依存、そして儚い光

Drama 14 to 20 years old 2000 to 5000 words Japanese

Story Content

時計の針が午後10時を指していた。古びた学習塾の一室。蛍光灯の光が数学の問題集に落ち、依存したようにページを食い入るように見つめる少年の横顔を照らし出す。彼の名前はハルト。17歳。難解な数式が彼の唯一の慰めであり、同時に、底なし沼へと引きずり込む鎖でもあった。
彼の隣には、いつもアカリがいた。透き通るような白い肌、長い黒髪、憂いを帯びた瞳。彼女はハルトにとって、恋愛という感情を知るきっかけであり、また、依存を深める元凶でもあった。
「ハルト、もう遅いよ。帰ろう?」アカリの声はいつも優しかった。その優しさが、ハルトの心を締め付けた。
「まだだめだ。あと少しで解けるから」ハルトは鉛筆を握る手に力を込めた。無理をしているのは明らかだった。アカリは心配そうにハルトを見つめていた。
ハルトは、幼い頃から数学の才能を発揮した。周囲は彼を天才と呼んだ。しかし、その才能は、彼を孤独へと追い込んだ。理解してくれる人が誰もいない。重圧に押しつぶされそうになる日々。そんな時、アカリが現れた。
アカリは、ハルトの抱える孤独を理解し、寄り添ってくれた。彼女の存在が、ハルトにとっての光となった。しかし、その光は、同時に熱を帯びた炎となり、彼を焼き尽くそうとしていた。
初めて会った日のことを、ハルトは鮮明に覚えていた。春の陽気が心地よい、公園のベンチ。アカリは、俯いたまま、泣いていた。ハルトは、何か声をかけなければ、と思った。しかし、言葉が見つからなかった。彼は、そっと彼女の隣に座った。
アカリは顔を上げ、ハルトを見た。その瞳には、絶望の色が滲んでいた。「助けて…」彼女は、かすれた声で言った。その瞬間、ハルトの心臓は、激しく鼓動した。これは、依存なのか、恋愛なのか。ハルトには、わからなかった。ただ、彼女を救いたい、という強い衝動に駆られた。
アカリは過去に大きなトラウマを抱えていた。そのトラウマは、彼女の心を深く傷つけ、他者への依存を生み出した。ハルトは、アカリの心の傷を癒したいと願った。しかし、彼自身もまた、心の傷を抱えていた。
ハルトは、完璧主義者だった。常に一番でなければ気が済まない。少しでも躓くと、自分を責め、自傷行為に走った。それは、誰にも知られたくない秘密だった。しかし、アカリは、ハルトの心の奥底にある闇を見抜いていた。
ある日、ハルトはアカリに言った。「僕には、君が必要だ。君がいないと、僕は生きていけない」
アカリは、悲しそうな目でハルトを見つめた。「それは、違う。あなたは、私に依存しているだけ。私も、あなたに依存しているだけ。これは、歪んだ関係よ」
ハルトは、アカリの言葉に動揺した。「歪んでいる?僕たちの関係が?」
「ええ。私たちは、お互いを支え合っているように見えて、実際は、お互いの弱さを利用し合っているだけ」アカリの声は震えていた。
その夜、ハルトは自室で一人、数学の問題集を広げた。しかし、頭の中には、アカリの言葉が渦巻いていた。鉛筆を持つ手が震え、解答欄を汚してしまう。彼は、自分の弱さを改めて認識した。そして、抑えきれない衝動に駆られ、カッターナイフを手にした。
腕に赤い線が刻まれていく。痛みは一瞬、心の痛みを忘れさせてくれる。しかし、それは、一時の麻酔に過ぎない。やがて、後悔の念が押し寄せる。
翌日、アカリはハルトに電話をかけた。「会って話したいことがあるの」
二人は、初めて会った公園のベンチで待ち合わせた。アカリは、深刻な表情でハルトを見つめた。「私、このままじゃだめだって思ったの。お互いのために、距離を置くべきよ」
ハルトは、アカリの言葉に愕然とした。「距離を置く?そんな… 僕は、君なしじゃ…」
「大丈夫。あなたなら、きっと大丈夫。あなたは、才能がある。自分の力で生きていける」アカリは、ハルトの目を見て、力強く言った。
別れ際、アカリは、ハルトに一枚の紙切れを渡した。「もし、本当に苦しくなったら、いつでも連絡して」
紙切れには、アカリが通うカウンセリングルームの電話番号が書かれていた。
アカリと別れた後、ハルトは、一人、数学の研究に没頭した。彼女の言葉を胸に、依存から脱却するため、必死でもがいた。苦悩の日々が続いた。何度も自傷行為に走りそうになった。しかし、その度に、アカリの言葉を思い出し、踏みとどまった。
一年後。ハルトは、数学オリンピックの日本代表に選ばれた。かつて彼を偏見の目で見ていた周囲の人々の態度は、一変した。彼は、努力が報われたことを実感した。
しかし、ハルトの心には、まだ空虚感が残っていた。彼は、アカリに会いたい、と思った。勇気を振り絞り、紙切れに書かれた電話番号にかけた。
アカリと再会したのは、カウンセリングルームだった。彼女は、以前よりも明るく、そして、強く見えた。
「おめでとう」アカリは、ハルトに微笑みかけた。「よく頑張ったわね」
ハルトは、アカリに感謝の気持ちを伝えた。「君のおかげだよ。君がいなかったら、僕は、今ここにいなかった」
アカリは、ハルトの目を見て言った。「私たちは、もう依存し合う関係じゃない。これからは、対等な関係で、お互いを応援し合えるはずよ」
ハルトは、アカリの言葉に、深く頷いた。そして、二人は、互いに未来への希望を胸に、それぞれの道を歩み始めた。あの日の依存にも似た恋愛感情は、互いを高めあう友情へと昇華した。
ハルトは数学者への道を歩み始め、アカリは過去のトラウマと向き合いながら、カウンセラーの道を志した。そして、いつか互いの経験を活かし、同じように苦しむ人々を救いたいと願った。
星が輝く夜空の下、ハルトとアカリはそれぞれ空を見上げていた。孤独を抱えながらも、過去の傷跡を乗り越え、未来へと向かって歩き出す二人の姿があった。
数学という名の迷路から抜け出し、自らの力で光を見つけたハルト。そして、依存の鎖を断ち切り、他者を照らす光となろうとするアカリ。二人の傷は、まるで夜空に輝く星のように、美しく、そして儚く光を放っていた。